「ライドライクアガール」は前評判の良さを聞いていたし、久しぶりの本格的な競馬映画ということで、かなり期待して公開初日に観に行った。期待値のハードルはかなり高かったにもかかわらず、決してそれを下回ることのない、まさに期待どおりの素晴らしい映画で安心した。競馬ファンはよりいっそう楽しめるが、競馬を知らない人が観ても単純に心を動かされる映画である。このような映画が出てきてくれると、いち競馬ファンとしては嬉しく、ひとりでも多くの人たちに観てもらいたいと思う。
主人公のミシェル・ペインは、159年の歴史があるオーストラリアのメルボルンカップを制した唯一の女性ジョッキーである。ペイン家の10人兄弟姉妹の末っ子として生まれたミシェルは、一度こうと決めたら家族の反対を押し切ってでも突っ走る、男勝りというか、末っ子気質の向こう見ずなタイプの女の子。父は調教師、兄弟姉妹のほとんどはジョッキーという競馬一家にあって、もちろんミシェルもジョッキーを目指し、メルボルンカップの優勝ジョッキーを夢見た。
「1930年のメルボルンカップは?」と聞かれると、「ファーラップ、ジョッキーはジェームズ・パイク」と即答できるほど、兄弟姉妹の中で競馬が大好きで、メルボルンカップを愛してやまなかった。ところが、父は娘のひとりを落馬事故で亡くしたこともあり、ミシェルがジョッキーになることに猛反対する。それでもミシェルは、勘当同然の扱いを受けても、ジョッキーの世界に自ら飛び込んだ。映画の途中にミシェルのジョッキーとしての成績が出てくるのだが、およそ3000レースに騎乗して、300勝を挙げており、勝率1割というのは女性としてではなく、騎手として優秀であったことを示している。
男性社会における女性ならではの差別や偏見を乗り越えながらも、ミシェルは少しずつ結果を出し、認められるようになった。その矢先、極限の減量を成功させて勝利したレースのゴール後、ミシェルは落馬をして大けがを負ってしまうことになる。「家庭に入って、子どもをつくった方が良い」という兄弟姉妹のアドバイスに、ミシェルは「(ジョッキーとして活躍している兄弟や親せきの男性にも)それと同じことを言うの?騎手をやめろって?」と返す。もう一度でも頭を打ったら植物人間になると医者に警告されていても、ジョッキーとしての夢をあきらめたくないという気持ちに男性も女性もない。競馬一家である自分たちでさえ、女性はジョッキーとして成功できないと無意識のうちに偏見を持っていたことに気づかされ、誰もが息を飲む。
私はなぜか女性アスリートが限界を超えようと頑張っている姿を見ると、涙が止まらなくなってしまうのだが、この映画もそうであった。プリンスオブペンザンスという名馬と出会い、ミシェルがメルボルンカップを勝ったと知っていても、心の中で「差し切れ!」と応援し、勝利の瞬間の映像を観ると胸が熱くなった(この映画は映像も素晴らしい)。勝ち負けというよりも、超えてゆくべき壁や障害が高ければ高いほど、乗り越えたときの喜びや感動は大きいのだ。女性騎手は強くないからメルボルンカップを勝てないと言われ、プリンスオブペンザンスのオッズは100倍を超えていた中、実際の勝利ジョッキーインタビューでは、批判した評論家たちに対して「Get stuffed(意味はお調べください)」と答えたのは実に痛快である。それぐらい勝気でないと、ジョッキーは務まらないのだ。
ここまではあくまでも競馬ファン目線でのレビューだが、映画の途中から、私の視点はミシェルの兄弟のひとりであり、ダウン症のスティービーと、もう一人、プリンスオブペンザンスのトレーナーであるダレン・ウィア―調教師に行ってしまった。正直に言うと、ダウン症の兄がプリンスオブペンザンスの厩務員であったというストーリーは出来すぎであり、映画としての脚色の一つだと思っていたのだが、最後に実際の映像の中にスティービーの姿を見て、それも実話だと知った。実際にダウン症の厩務員に会ったことがなく、もしかすると私の中でダウン症の厩務員などいないという偏見があったのかもしれない。
スティービーが厩務員として優秀であることを見抜いたのはダレン・ウィア―調教師である。また、メルボルンカップの直前で、陣営のほとんど全員が騎手の交代を求める中、唯一、ミシェルにそのまま任せたいと主張したのもダレン・ウィア―調教師であった。これらも全て実話だとすると、ダレン・ウィア―調教師は偏見や差別を抱かず、フラットな精神を持つ立派な人物であることが伝わってくる。
実は一昨年、私はかのダレン・ウィア―調教師にインタビューをさせてもらったことがある。彼は決して大物調教師ぶらず、傲慢さのかけらも見せない、オープンマインドな人物であった。彼は自分の管理馬の1頭1頭にニックネームをつけて覚えているほどの馬好きであった。そして、どこの馬の骨とも分からない、競馬好きの日本人を歓迎してくれて、ビーチ調教について熱く語り、馬の見方について教えてくれ、新しい坂路調教施設などにも案内して見せてくれた。しかし私が日本に戻って、原稿を仕上げた矢先、彼は馬に対する違法器具の使用で逮捕され、調教師免許をはく奪されてしまったのだ。
私が出会ったダレン・ウィア―調教師はそのようなことをする人間には到底思えず、戸惑いを隠せなかった。彼はほんとうにそのような行為に手を染めてしまっていたのだろうか。誰かにはめられたのではないだろうか。私には人を見る目がなかったのだろうか。遥か遠くの競馬大国の事情をほとんど知らない私がいくら考えても仕方のない問題であるが、今はこう考えることにしている。人間には様々な面があり顔がある。陽もあれば陰もあり、表もあれば裏もある。それは私だって同じだ。うなぎ登りにトップトレーナーになった彼には、私たちには知り得ない重圧があったのかもしれない。もしくは多くの馬たちを管理する中で、そのような方法で馬を調教することの罪深さの感覚が麻痺していったのかもしれない。そのあたりはあくまでも想像にすぎず、審判する権利など誰にもないが、ダレン・ウィア―調教師がナイスガイであったことは私にとっての事実である。複雑な気持ちが去来しながらも、最後まで映画は楽しむことができた。闇や影の部分以上に大きな夢や希望やチャレンジが競馬にはあるからだ。ミシェル・ペイン騎手とプリンスオブペンザンス、ダウン症のスティービー、そしてダレン・ウィア―調教師がメルボルンカップを勝って、抱き合って喜ぶ姿を見て、感動しないわけがない。私は人間を信じているし、競馬の素晴らしさも信じている。
実際のメルボルンカップ2015の映像はこちら
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